
そう、僕はあの日間違いなくドイツにいた・・・。
広場があって、教会があって、オシャレな建物があって、凱旋門があって、公園のあるドイツ。
このページを見るたびに、僕はその日のことをはっきりと思い出すだろう。
ヴォルムスのドラゴン、フルダの大聖堂、アウグスブルクの松ぼっくり、森の中のエーベルバッハ修道院、車の多いヴィースバーデン、
そしてメスペルブルン城にいた魚のことやリューデスハイムの丘の上の昆虫たち、フランクフルトの奇妙な鳥のことを。
何もかもがほんのちょっと、何もかもがあっという間だったかもしれないけど、
その僅かな時間の間、僕はドイツを歩き、ドイツを見て、ドイツを感じることができたんだ。
憧れの国ドイツへの旅行の記憶はいつまでも、いつまでも、僕がこの世から消えるまで僕の人生を彩るものとなるだろう。
今回のドイツ旅行の拠点としたのはフランクフルト。ドイツで5番目に大きな街。
この街には人魚の歌声のように僕の心を魅了するものが確かに存在する。
そんなフランクフルトにはどんどん高層ビルが増えていくような感じなんだけど、ビルだらけの街にはならないでほしいなって思う。


牝鹿が川を渡ってカール大帝を導いてから1200年超、ゲーテがこの街に生まれてから270年、
フランクフルトで一番衝撃的だったのが正義の女神テミス(ジャスティス)の像がなくなっていたこと。
晴れてるからいい感じで正義の女神の写真が撮れるかなって思って行ってみると、
女神像はすでに撤去され、その場所に鳥の巣が置かれていたんだ。
前回フランクフルトに来た時にはこの広場にきれいなおっぱいをさらけ出したテミスの像があったんだけどな。
テミスっていうのはウラノス(天)とガイア(大地)の娘でゼウスの二番目の妻となった女神のこと。
そんな女神像がなくなってるのを見てますます心配になった。
フランクフルト、大丈夫かなって・・・。

今回の旅行で僕が見たどんな世界遺産よりもこのヨコバイのほうがきれいだった。
こんなに美しいヨコバイのことをこの街で生まれたゲーテが詩にしていないってことは・・・
もしかしたら見たことがなかったのかもね。
僕はフランクフルトでゲーテも見たことがないようなヨコバイを見つけた・・・。そう思うことにするよ。
九月のフランクフルトはクサギカメムシだらけだった。さすがにこの状況はヤバイんじゃないのかな。
クサギカメムシって日本とか東アジア原産のカメムシだよ。
そのクサギカメムシがフランクフルトの街の中にうようよしてるんだ。
こんなことってありえないよ・・・。
近い将来、ドイツワインの生産量が激減したら・・・そこにクサギカメムシがいるかもしれない。
そんな感じだった。

フランクフルトの街を歩くのはこれで三回目。
実は数年前にも行ったことがあるんだよね。「ドイツのクリスマス・マーケットに行ってみよう!」な~んて言葉に心躍らされて。
クリスマス・マーケット!
実に魅力的な言葉だよ。旅行代も安かったし、わくわくしながら行ったのを覚えてる。
でもね・・・あの人混みにはうんざり。
一度は行ってみたいドイツのクリスマス・マーケット。それは確かに言えると思う。
でも一度で十分だよ。ドイツのクリスマス・マーケットは・・・。
昼も夜も行ったところでそんなに何本もソーセージを食べれないし、アップルワインだって何杯も飲めない。
動物園にも行ったけど、かわいそうな動物の姿を見せられただけだった。
だから僕は決めたんだ。冬のドイツには二度と行かないって。

その歴史はローマの時代に始まり、やがて吹き荒れるゲルマンの嵐の中でブルグント王国の首都となったヴォルムス。
ジークフリートとクリムヒルトが腕を組んで歩いたのはこの街だった。
そしてハゲネの投げた槍で命を落としたジークフリートを見て、クリムヒルトが泣き崩れたのも・・・。

ニーベルンゲンの歌の舞台となったヴォルムスには今でもたくさんのドラゴンの像が据えられていたよ。
セイヨウトチノキ(マロニエ)という木から落ちた茶色くてテカテカした木の実がたくさん転がっていたので、
ジークフリートのように無敵になりたいと思った僕はその木の実をドラゴンにぶつけてみたけど、
どのドラゴンからも血は吹き出なかった。
ドラゴンの血を浴びることができなかった僕は・・・未だに普通の人間のままだよ。

僕はナチスドイツ時代の切手を集めてたことがある。
今回フルダの街に行ってみようと思ったきっかけは
その時に知った1944年発行の「フルダ1200年記念」っていう一枚の切手なんだ。
ヒトラーや鉤十字、ドイツ軍といったものがメインな題材だった頃に公園の噴水かなんかが描かれた切手は妙に印象的だった。
宿泊してるフランクフルトから一時間ちょいで行けるなら行くっきゃない!
思い立ったが吉日ってことで行ってきたよ、フルダの大聖堂を見にね。
ローマ神話に登場する花の女神フローラ。
彼女はもともとギリシャに住んでいたクロリスという精霊だったけど、
その美しさに一目惚れした西風の神ゼピュロスにさらわれてイタリアに連れてこられた後、花の女神になったんだとさ。
手に持っているのは黄金の短剣に見えるけど、実はこれユリの花だと聞いてびっくり。
これがヨーロッパで紋章として描かれる時のユリの花の形なんだって。

ローマの権力闘争を勝ち抜いたオクタウィアヌスがクレオパトラとアントニウスに引導を渡したのが紀元前30年。
それから三年後の紀元前27年、元老院は彼にアウグストゥス(尊厳ある者)という称号を与える。
オクタウィアヌスがローマの全権を掌握したことでローマの共和制は終焉し、皇帝の時代が始まった・・・。
その初代ローマ皇帝オクタウィアヌスが紀元前15年に作ったローマ軍の基地がアウグスタ・ヴィンデリコルム。
それが現在のアウグスブルクの起源になったんだって。
僕がアウグスブルクに行ってみようと思った理由は
クレオパトラを死に追いやったオクタウィアヌスの像がどんな形で街の中に立っているのか気になったからなんだ。
内心ではハーナウで見た真冬のグリム兄弟像以上に鳩の糞まみれになっているのを期待してたんだけど・・・、
さすがは初代ローマ皇帝。ピカピカだった。
そして像の周りにはたくさんの女性たち。
エジプトから連れてこられた女性なのか、近くの森でローマ軍に捕まった女性なのか・・・。
いずれにしても・・・永遠に乳首とアソコから水を出し続けなくちゃいけないなんてかわいそう。
オクタウィアヌスの思いつきそうなことそのまんまだよ。
こんなことをする男だって分かっていたからクレオパトラは自殺したんだろうね。

今から数年前のクリスマスの直前に僕は馬鹿みたいな顔をしながらアシャッフェンブルクの街の中を歩いていたことがある。
どんよりと曇った空の下でヨハニスブルク城を目指しながら・・・。
でもって着いたところで他の観光客なんて一人もいやしない。レンガ造りのでっかい家みたいな建物があるだけだった。
そばを流れるマイン川の水は茶色く濁り、渡り鳥でさえ凍えていた冬のアシャッフェンブルク・・・。
それは僕が経験した旅行の中で最もつまらない一日だったかもしれない。
アシャッフェンブルクの駅前広場に出た僕は心の中で今日は絶対にヨハニスブルク城には行かないもんねという決意を固めていた。
よくない思い出はよくない思い出のままとっておくのもありだろう。
というわけでさっそくバスターミナルまで移動して今回の目的地メスペルブルン城へ行くバスの時刻を調べる。
お目当ての40番のバス乗り場は一番奥・・・。
しかも日曜日なので本数が少なくて一時間半待ち。
マジかよ・・・。またアシャッフェンブルクで嫌な思い出が増えるのかと一抹の不安がよぎる。
そして・・・バスは定刻通りに来なかった。
僕が待っている間に近くの乗り場から出たバスはみんな時刻表通りだったのに、
どうして僕の乗ろうとしているバスだけが来ないんだろう・・・。
5分経過してもまだ来ない。
何らかの理由で運休になったんだろうか・・・。
このバスを待っているのが僕の他に誰もいないってことはみんな事情を知ってるってことなんだろうか・・・。
10分経ってもまだ来ない。
めちゃくちゃ不安になる・・・。
もう少し待って来なかったら帰ろう。
そう思った時、やっとバスが入ってくるのが見えた。
15分遅れ・・・。怒りというよりも疲れがどっと出た感じだった。
そしてメスペルブルン城に到着!けど・・・ちっちゃかった。これって本当にお城なの?
ねえ?これって本当にお城なの?ねえ?って何度も問いかけたくなるほどちっぽけなメスペルブルン城。
でも住んでる人が「ここは僕のお城だから」って言えば、やっぱりお城ってことになるんだろうね・・・。
ちなみに僕がいた午前中からお昼ごろまでは逆光だったから、訪問するなら午後がいいかもしれないよ。
何度も見直して、何度も写真を撮ったけど、やっぱりちっちゃかったメスペルブルン城。
これだったら写真だけ撮ってさっさと帰れそうな気がするけど、そこは管理者も十分承知しているんだろうね。
入場料を集めてたおじさんはこの場所への入り口付近にいたよ。
つまり、どうあがいてもメスペルブルン城の写真をこの場所から撮るにはお金を取られてしまうってわけ。
しかもその入場料には場内のガイド代も含まれてる。
もったいないついでに撮影禁止の場内をガイドツアー付きで見てきた。
一応鎧とか剣は飾ってあるけど、それでもやっぱりここはお城って感じがしなかったなあ。
獣の頭とかも飾ってあったし、狩りのための秘密基地って感じかな。
ちっちゃな、ちっちゃなメスペルブルン城だった。
このお城を建てた人がここに陣取ったのは15世紀だけど、お城が今の形になったのは16世紀の中頃なんだって。
そんなちっちゃなお城になぜか次々にたくさんの観光客がやって来る。
その感覚がすごく不思議だった。
いったい何がこんなにもたくさんの人々をメスペルブルン城に引き寄せるんだろう。
カエルでも白鳥でも池にいたマスでもないし・・・。
僕にはその答えが分からなかった。

再び僕はライン川が見える場所にやって来た。
ここリューデスハイムの街は僕が初めてドイツを訪れた時にライン川観光の船に乗った思い出の場所。
そのリューデスハイムでゴンドラリフトに乗ってゲルマニアの女神に会いに行くってのは今回の旅行のビックイベント。
ドイツの古い切手を集めたことがある人なら誰もが一度は恋したことがあるゲルマニアの女神。
その女神に会える日を僕は本当に心待ちにしていたんだ。


カウプやリューデスハイム方面からフランクフルトに戻る途中にエルトヴィレ駅( Eltville )で下車。
駅を出てすぐの所にあるバス乗り場から172番のバスに約20分乗って最後のバス停で降りると、
そこがエーベルバッハ修道院( Kloster Eberbach )の入り口だった。
ここは名前こそ修道院だが、
今現在は修道院として活動しているわけではなく、その建物を利用してワインを醸造、販売している場所なんだって。
でも僕の目的はワインじゃない。
昔のまま残っているという修道院の建物のほう。
地球の歩き方にも紹介されているその建物は白くて美しい。
せっかくのドイツ旅行中、そんな建物が近くにあるのなら一度はこの目で見てみたい。
それに・・・なんとなく周囲は緑に囲まれてるっぽいので、なにがしかの昆虫に会えるかもしれない。
風景写真プラス昆虫。そんな思いを胸に僕はエーベルバッハ修道院を目指すことにしたんだ。
バスが走り出して郊外に出ると、空がどんよりと曇り始めた。
そして見る見るうちに真っ黒になって雨まで降り出してきた。さっきまでいた駅前の陽光が嘘のようにね。
山の天気は変わりやすいとはいうもののそんなに山ってわけでもない。あえて言うならここは丘だ。
それなのに何なんだろう、この天気は・・・。
雨に濡れる車窓を見ながらしだいに僕は諦めの気持ちになっていった。
到着後も雨は降り続いていたので、傘を持っていなかった僕はバス停の近くの木の下で雨宿り・・・。
もしかしてこのまま次のバスがやって来て、エーベルバッハ修道院の本体を見ることなく帰ることになったりして・・・。
そんな気すらしてきた。
子供の頃はこんなふうにツキがない時に限って、
急に森の中から出てきた猪かなんかに追いかけられて小川に転げ落ちるようなことがよくあったけど今日は大丈夫かな。
僕は不安な目で空を見つめながら背後から出てくる予定の森の獣の気配に注意していた。
雨が止んだというか小雨になってどうにか歩けそうかなってなったのは15分ぐらい経ってからだった。
とことことこっと進んでいくと僕の目にエーベルバッハ修道院の白い建物が飛び込んで来た。
雨に濡れた緑の草の上にたたずむ白いエーベルバッハ修道院はまるでアルフィーのメリーアンの世界観のようだったよ。
ここで修道服を着た美人シスターが出てきたら、僕は間違いなくキリスト教に改宗していたことだろう。
ワインを買う人、食事をする人、建物内部を見学しようとする人を尻目に
僕はしばらくの間エーベルバッハ修道院の外をウロウロしていた。
そんな僕のことを神様が見かねたのかもしれない。
急に雲がなくなって青空が見え始めたんだ。
写真を撮ってさっさと帰れって意味だったとしても僕は嬉しかった。
空に青い部分が広がれば広がるほど輝きを増すエーベルバッハ修道院の白い建物。
美しい・・・。
僕は何度もそうつぶやいた。

ヴィースバーデンって街はきっとすごく大きな街なんだろうね。
駅前には大通りが縦横に走っていてものすごい数の車で渋滞してた。バスを待っている人の数もめちゃ多い。
僕のように足が痛くて歩くのが遅かったりすると通りを横切るたびに何度も車に轢かれそうになるから注意したほうがいいよ。


ここに載せたのは数年前の三月に乗ったライン川の船の上から撮った古城の写真なんだけど・・・
この写真を見て自分もドイツに行きたいな、ライン川の船旅を楽しんでみたいなって思う人はいないだろうな。
大抵の人はなんかつまんなさそう。行っても意味ないじゃんって思うはずだよ。
そのくらい緑がない時期のドイツって魅力がないんだよね・・・。
僕自身もこの写真を見るたびにもう二度と寒い時期のドイツには行かないぞって思うもん。

12月のコブレンツ・・・。
そこにあるのはピクリとも動かないゴンドラ、奴隷のようにつながれたまま動けない船、どんよりと濁った川の水・・・。
それだけでも最悪だっていうのに、曇ったりしたら一体何を楽しんだらいいんだって話だよ。
12月のコブレンツでは何の思い出も作れない可能性が高いと思う。
ドイチェス・エックに行ったって感じが全然しない。それが12月のコブレンツだよ。


若き日のゲーテはヴェッツラーに住んでいるシャルロッテ・ブッフという女の子が大好きになっちゃって
何度も何度も坂道をてくてくと歩きながら彼女の家まで行ったんだ。
会いたい!その一心で。
でもその恋は報われることのない恋だった。
シャルロッテはもうゲーテの友人のケストナーと婚約している仲だったから。
その失意、その苦しみから書き上げられたのが『若きウェルテルの悩み』という本。
その本で衝撃を受けてゲーテが好きになった僕がヴェッツラーを訪れるのは必然だったのかもしれないけど・・・、
その時期を12月にしてしまったのは完全な間違いだった。
寒くて暗い坂道だらけの街の中で作品に思いを馳せるのは難しいよ・・・。
なんとかシャルロッテの家まではたどり着いたけど、けっこうしんどかった。

ゆったりと流れるライン川、迫力のある大聖堂、それにドイツっぽい建物もいっぱい!
そしてフランクフルトよりも静かで落ち着いている。
冬ってことでカーニバルの噴水の水は止められていたけれど、マインツはいい感じだった。
だからマインツにはもう一回行ってみたいなって思ってるんだ。
でもお金がないから・・・。行きたくても簡単に行けない。そんな自分が悲しい・・・。

雪が降っていた。僕がダルムシュタットの街に行った時は雪が降っていたんだ。
当たり前だけど、そんな日にマチルダの丘をうろついているのなんて僕だけ。他には誰もいやしない。
きらびやかに輝いてるはずの教会の頭もどんよりしてた。そして僕の心はそれ以上にどんより・・・。
それでも僕は諦めずに写真を撮った。もう二度と来れないからって覚悟で。
でも好きになれなかった。この日に撮ったダルムシュタットの写真もマチルダの丘の写真も。
やっぱり風景写真は晴れた日に撮りたいよね・・・。
本当につい最近だよ、雪化粧のマチルダの丘もありだったのかなって思えるようになったのは・・・。
いつもなら問答無用で削除してるんだけど、なぜか削除していなかったダルムシュタットの写真。
一枚くらいはクリックして拡大して見てほしいな。

この街には一枚のプレートがある。ここがメルヘン街道の出発点だと記した一枚のプレートが。
それこそが僕がハーナウに行かなくちゃって思った最大の理由。
クリスマスマーケットを楽しむ人々の波をかき分けてそのプレートを目にした時、僕は感動で泣きそうだった。
ただでさせ大好きなグリム童話がこの瞬間僕の中でより意味のある本になったんだ。
だから・・・行ってよかったと思ってる、ハーナウの街に。
グリムの頭が鳩のお気に入りの場所だってことも分かったし。
